問題は、その背景や原因、状況に応じて問題として認識されます。
この認識を促しているのは、自分自身に刷り込まれている「価値観」です。
そして、怒りや悲しみも、自分自身が「悲しもう」「怒ろう」と決めて感情を動かしているのです。

誰のせいでもない。
わが身に湧き起こる感情は、自分が勝手にそう決めているだけ。

辛いとか苦しいとか悲しいとか。
あの人が嫌い。
そういうことも、結局は自分が決めている。

何だか禅問答みたいだけれど。

新型コロナウィルスという、正体不明の見えない敵に囲まれて、不安と恐怖にさいなまれる日々。
そんな時に心のよりどころとなるのは、宗教やスピリチュアルということになるのだろうか。

「宇宙」が出てくると、とたんにうさん臭く感じてしまう私(笑)

まあ、それはそれでいいのだけれど。

心のブロックを外すと、思い通りの人生を手に入れる。
無意識の世界をありのままに認識すると、自分の感情や行動をコントロールしていたものから解放される。

「あの人が嫌い」
「あの人から嫌われている」
そう思うことがある。

でも、実際は、自分の価値観にそぐわない人に対して、自分が先に不快感を持っているだけなのだ。
相手はそれほどこちらを嫌いでも好きでもない。
自分が人と接する時、こうあって欲しいと願い努力している部分を逆なでされると、嫌いになる。
それは、相手のせいではない。
相手が悪意を持って攻撃しているのではないのだ。
先に身構えて敵意を持ったのは、自分の方である。

そこに気が付くと、どうして私はあの人が嫌いなんだろう?と考えることができる。
すると、〇〇というリアクションが、私は許せないんだなと気づく。
そうか。
「あの人」ではなく「私が不快に感じる行動」に対して嫌悪しているのだ。

相手が自分をけなしたり攻撃しているわけではないことに納得する。

大切な人が突然なくなった。
悲しみで途方に暮れる。
一時、そういう感情に溺れるのは悪くない。
それがずっと続いて日常生活に支障が出ると、困るのだ。

悲しい時は、思い切り悲しんでいいと思う。
泣きたいときは、思う存分泣けばいい。

突然の別れだから、いとまごいが出来なくて残念なのか。
だったら、いつ生き別れてもいいように日ごろから誠実に悔いなく接していればいい。
そう気づかせてくれて、ありがとう。

日にち薬。
方っておいても、やがては癒える。

その前に、先に逝った人への思いを変えてみよう。
先に逝って待っていてくれる、心強さ。
いつも空の上から見守ってくれている、安心感。

私を悲しませるために、わざと急逝したわけではないのだ。
突然一人ぼっちになったから悲しいというのは、自分本位の思い込み。
先に逝ってしまった人を恨むのか?

ああ、今あの人は逝ってしまった。
事実をありのままに受け止めればいい。
私もやがては逝く時が来る。
ただ、それだけのこと。

そうは言っても、私はまだそこまで達観していない(笑)
ただ、これまでに起こってきたいくつもの出来事を受け止め、不確定な未来に怯えず、今を精一杯生きることはできるようになったと思う。
思っている。
思いたい。


ありがとうございます。

今日も笑顔で過ごせたでしょうか。

あなたの幸せを願って。


りょうこ





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